旧岩崎庭園

三菱財閥創始者の邸宅であった旧岩崎邸に行ってきました。

旧岩崎邸(木造)  岩崎邸(木造)

この邸宅は洋館と和館があり、洋館は明治政府の要請で来日したジョサイア・コンドルの設計で、客室をもてなすために利用されていたそうです。ちなみにコンドルが日本政府の要請で来日した時は24歳という若さの抜擢でした。彼は日本政府の期待通り近代日本の建築会に貢献しましたが、彼の功績は鹿鳴館などの近代建築を日本に残しただけでなく、弟子をとり、素晴らしい建築技術を日本に伝道したことです。先日訪れた迎賓館は最初の弟子である片山東熊の作品ですし、東京駅の赤煉瓦も彼の弟子である辰野金吾の作品です。

 袖塀(重要文化財) 三菱マークの起源

岩崎家の家紋である『重ね三階菱』が主君の山之内家の家紋の『三ツ柏』が合わさって現在の三菱グループのマークの起源になったと言われています。とは言え、この『重ね三階菱』が表わされていたのは、袖塀(こちらも重要文化財)の一か所だけでした。

階段の装飾  天井にアカンサスの装飾  本物のアカンサス

内装はアカンサスの装飾があちらこちらにありました。お庭に本物のアカンサスがあったのでパチリ。

ガスの暖炉  金唐革紙の壁紙

部屋には暖炉がたくさんあり、全部で15個近くありました。またこの時代にもかかわらず水洗トイレ!驚くことだらけでした。

minton製タイル  タイルのズーム

足元のタイルを見ると、MINTON製ですし・・・。MINTONのティーカップひとつ買うのに悩んでいるのが恥ずかしいです。しかも良く見ると目地がないのです。いかに揃えられたタイルで作っているかがわかります。

欄間には『重ね三階菱』 引き具にも『重ね三階菱』

ずっとこの岩崎邸は岩崎弥太郎(三菱財閥創始者)の邸宅だと思っていたので、貧しい生活をしていても審美眼があった人なんだと思っていたのですが、ここは岩崎久弥(弥太郎の長男で三菱財閥3代目社長)が作られたそうで、この邸宅ができる前に弥太郎はこの世を去っていたそうです。和館は洋館の華やかさこそないけれど、現在では入手できないような良質で大きな木材や素材をふんだんに使っており、こちらもためいきものでした。

牡丹かな

洋館と和館が隣り合っているのに、お互いが見えないように配慮され、和館から庭を見ると和の庭に、洋館から見ると和の庭には見えないように工夫されていて素晴らしかったです。この素晴らしい邸宅でどのようなことを考えて岩崎家の人たちは育ったのだろうと、少し思い耽ってしまいました。

 

ちなみに私が気に入ったのがこちらの柱です。

彫刻された柱 建築に詳しくない私がこんなに楽しめるのですから、建築を専攻している人や建築好きな人が来たら、鼻血ものでしょうね(笑)。あ~楽しかった♪

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2件のフィードバック

  1. 白い洋館☆素敵ですね!都内にも所々にこういった中世的?建物が残っていますよね。東京駅や三越前あたりとか・・・。建築物はまったく無知な自分ですけど、三菱グループ。ソシオテック三菱・・・(?)20代の頃、派遣でお世話になって楽しくお仕事させていただいた会社ということでとても印象的な企業さん♪ここから始まった、、、という感じでしょうか。星みっつ★★★

  2. 大企業で働いていたのですね~。いろいろなところに行くと、それぞれの良いところ悪いところがあるんでしょうね。財閥解体がなければ、三菱財閥はどのようになっていたのかな・・・なんて考えたりします。お金持ちは桁違いにお金持ちの時代でしたからねぇ。

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